恋するコミュニケーション

コミュニケーションってなんだろう?
このところずっとコミュニケーションを考える。

25歳のラブセミナー参加者。
「こんなに本音で話せる機会を与えていただき有難うございます。」
そんな感想をいただいた。

私の脳内では、“25歳はセックスも本音で話すはず”だった。
想像力で追いつけないほど、25歳は私から遠い(笑)

40代の婚活セミナー受講生。
彼女が腹を見せない絵文字メールや会話を選ぶ理由は、「社会通念上、綺麗ごとのオンパレード、差しさわりのないお言葉に埋もれてきたから。」

それぞれの世代がそれぞれの経験を通し、試行錯誤しながら、最適なコミュニケーションを模索していく。

共通するコミュニケーションの加減基準は1つ。

「イイ人だと思われたい。」

私にもイイ人というシェルターで生きた時があった。
日本の社交辞令・建前社会の人間関係。
本心をオブラートに包むうちに、私の発する言葉は意味を失った。

イタリア生活で親友ロレダーナと初めての喧嘩。
SNSでちょっと強気なことを書いた。
あちらもメールで返してくると思っていた矢先、ロレダーナから電話が入った。

鳴り続ける携帯、私は出られなかった。
また電話がなるのがイヤで電源を切った。

20分後にロレダーナが自宅にやってきた。
「どうしてミーナはちゃんと話をしようとしないの?」
真っ向からコミュニケーションをとろうとするロレダーナ。

彼女と携帯で話すことから逃げたヘタレな私。
会って話せば10分で分かり合えたのに、なんとしてでも向かい合うのを避けたかった。
顔を突き合わせてきちんと対話すること。

私は何から逃げたかったのだろう。
一体誰にイイ人でいたかったのだろう。
私は自分にイイ人でいたかった。

自分の殻を護ることだけに必死で、視点は自分だけに向いていた。

ロレダーナを通して自分の裸の心を見るのを避けた。
そもそも裸の心で誰かと繋がる覚悟がなかった。

あんなに嫌っていた表面だけの繋がり。
それを発信していたのは日本でなく私だった。

そこそこの自己開示、そこそこの関心、そこそこの信頼、そこそこの繋がり、そこそこの私。
実態がない繋がりに、私は“涅槃”をみていた。

会話、友情、恋愛、結婚、営業、セックス、社内の雰囲気、ライティング、コミュニケーション。

あなたが繋がりたいのは誰だろう。
実態を伴う繋がりは、涅槃でも胎内でもない。
傷つくことも誤解も面倒なこともある生身の地。

それでも繋がる価値はある。
繋がるってあったかい。

アモーレ(愛)を込めて、美奈子

11月23日「恋するコミュニケーション講座」
https://www.g-veggie-lesson.com/communication